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| 詳細年表 |
| 1952 |
3月11日 |
竹田和夫、東京 日本橋に生れる。13才よりギターを始める。 |
| その後、ファルコンズ、キンキー・ロッカーズ、ビート・トレインなどのアマチュア・バンドで音楽活動を続けた。 |
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1968 |
8月 |
洪栄龍氏の後任としてビッキーズに参加。プロギタリストとなる。 |
1969 |
1月1日 |
「BLUES CREATION」 を結成する。 「当時はシカゴ・ブルースを志向するバンドで、バターフィールド、マディ・ウォーターズ、ライトニン・ホプキンス、ジュニア・ウェルズなどのナンバーが主だった。」 (K.T.) |
2月〜3月 |
BLUES CREATION、ポリドール・レコードにてデビュー・アルバムを録音する。 「デビュー・アルバムのディレクターは 松村氏。池尻大橋のポリドールスタジオで、アンぺックスの4トラックで録音。使用ギターは エルク ワイルドキャット、アンプはヴァイキング、オーバードライヴとワウはともにエーストーンだった。」 (K.T.) |
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9月28日 |
「第一回:日本ロック・フェスティバル」 にBLUES CREATION出演。 |
1970 |
8月 |
「この年から 所属していたプロダクションを辞めフリーになった。折からのヒッピー文化とリンクして活動が野外ロックフェスなどに変わっていった。メンバーも、大沢が戻り、バターフィールドやシカゴブルーズを中心にプレイしていた。」 (K.T.) |
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5月 |
竹田は初の外国製ギター、フェンダーエスクワイアーを買う。 同じ頃、東京キッドブラザースの舞台音楽を担当した。 「この年より新宿から渋谷に拠点を移し、ジャンジャン月曜の昼・・ という 今考えるとなんと地味な時間帯だろう。ところがここで信じられない事に 東京中の若い世代のプレイヤー達が 或る人はタイバンとして又 あるいは、客として集まりだし、超がつく程の大変な盛り上がりとなった。、、」 (K.T.) |
1971 |
7月25日 |
BLUES CREATION、セカンド・アルバム「悪魔と11人の子供たち」をリリース。 |
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8月14日〜16日 |
「日本幻野祭〜三里塚」 にBLUES CREATIONが参加。 |
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9月 |
カルメン・マキとの共演アルバム 「カルメン・マキ/ブルース・クリエイション」 をリリース。 「この年の秋は、全国各地の学園祭、野外フェスに数え切れないほど出演した。」 (K.T) |
1972 |
春 |
BLUES CREATION解散。渡英 |
1973 |
3月25日 |
内田裕也をサポート、1815Rockn'N' Roll Bandとして 内田裕也 「Rock'n Roll放送局」 をリリース。 その後もCREATIONは1815Rockn'N' Roll Bandとしての活動も数多くおこなった。 |
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5月〜6月 |
「5月から6月 バンド全員で ロンドン、パリ、デンマークと旅をする。コペンハーゲンのクラブに出演した際、クラブのマネージャーに気に入られ1ヶ月間の長期出演の申し出を受けるも、ビザの関係で断念。失意の眼差しがあてもなく行き着いた先にまだ肌寒い5月のチボリ パーク のビルボードが有り、そこには ウエスト、ブルース&レイングのアドがあった。、、モーニング デューがやたら受けた、、」 (K.T.) |
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8月 |
米国のロック・バンド マウンテン来日公演のオープニング・アクトを務め、この時フェリックス・パッパラルディと遭遇する。 |
1974 |
8月1日〜8月10日 |
「ワン・ステップ・フェスティバル」 に出演。 |
1975 |
6月5日 |
CREATION、ファースト・アルバム 「CREATION」 をリリース。 |
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7月19日 |
「サマー・ロック・フェスティバル」後楽園 に出演。 |
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8月3日〜9日 |
「ワールド・ロック・フェスティバル」 が内田裕也のプロデュースのもと、東京、名古屋、京都、札幌、仙台で開催される。 フェリックス・パッパラルディと共演。 |
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10月〜12月 |
CREATIONのメンバーはパッパラルディとの出会いを機に、10月に渡米。マサチューセッツ州ナンタケットでのリハーサル後 ニューヨーク州ウッドストックのベァズビル・スタジオでセカンド・アルバムのレコーディングに入る。 「この時、ポール・バターフィールドと20テイク取った。」 (K.T.) |
1976 |
4月5日 |
CREATIONのセカンドアルバム 「CREATION with FELIX PAPPALARDI」 をリリース。 |
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4月24日 |
CREATIONはフェリックス・パッパラルディと共に日本武道館でワンマンコンサートをおこなう。 |
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6月8日 |
USA A&Mレコードより 「CREATION FELIX PAPPALARDI」 がリリースされる。 |
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5月〜8月 |
CREATION with Felix Pappalardiは全米ツアーを行ない、アトランタ、ダラス、LA、エルパソなど計20ヶ所で公演した。この時、ボブ・シガー、ピーター・フランプトン、イエス、キッス、ジョニー・ウィンターなどと競演。 |
1977 |
2月 |
後楽園サーカステントでおこなわれた 「激突三大ギタリスト」 に竹田和夫オールスターズが出演。 |
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3月5日 |
CREATION・サード・アルバム 「ピュア・エレクトリック・ソウル」 をリリース。 |
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5月26日〜27日 |
「屋根裏」 に竹田和夫オールスターズとして、出演 |
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9月 |
松本が脱退し、山内テツ(b)が加入。 |
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10月20日〜23日 |
CREATIONは竹田和夫 (g.vo.)飯島義昭 (g.)、樋口晶之(ds.)、山内テツ(b) 、上綱克彦 (key)のメンバーでリトル・リバー・バンドとのツアー ロック・タイフーン・ツアーを開始する。 |
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11月2日〜13日 |
その後、リトル・リバー・バンドとオーストラリア・ツアーを行なう。このツアーでフリートウッド・マック、サンタナらと共演。 |
1978 |
10月10日 |
「ヤングギターフェス:GUITAR WARS in HIBIYA」 日比谷野音に出演 |
1981 |
6月〜 |
松田優作のツアーをバックアップする。 |
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7月5日 |
アルバム「ロンリーハート」を発表 |
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11月8日〜9日 |
香港の「アカデミー・コミュニティー・ホール」でコンサートをおこなう。 |
1982 |
春 |
東京音楽祭に出演 タイトロープをプレイする。 |
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9月 |
ロンドン メソンルージュ スタジオでソロアルバム「Sometime Blues」を録音する。 |
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10月 |
CREATION 2度目の香港公演 ACホールで3日間行う。 <折からの教科書問題で爆発物を会場に仕掛けられる。あわててお客を場外に誘導、、アナウンスしながら思った、、なんで、、?>会場の外には3000人を超すデモ隊、、代表から慇懃に文部大臣への抗議文を預かる。 |
1984 |
10月 |
12年間のCREATIONとしての活動に終止符を打つ。 CREATION Disband |
1986 |
8月 |
B.B. Kingの九州公演にサポートバンドとして参加。 |
1987 |
春 |
竹田和夫&ボーイズ・オン・ロックスとしてスタートする。 JVCでCDの録音を開始した。 (このときからCDの時代に変わって行った、、、K.T.) |
1988 |
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シカゴ、アトランタ、LA、など米国各都市を音楽視察、、ジャムセッションなどを行う。 |
1989 |
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LAにて マイケルジャクソンのアレンジャーによりアルバムを制作。ティトジャクソンのプライベートスタジオを使用。 |
1990 |
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ゴスペル音楽に傾倒し ゴスペルの世界での活動が増えていく。 |
1995 |
1月 |
旧友 ダニサマーの香港 コロシアムのコンサートにゲスト出演する。 |
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Tommy Chung のアルバム 「Tommy & The All Blues/Play My Blues」 をプロデュース |
1997 |
3月 |
米国に移住 |
1998 |
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98年から2000年まで LAのブルーズバンド |
2000 |
10月 |
99年より始めた自己のグループを率いて 香港 ACホールで ソロコンサートを行った。 |
2001 |
春 |
Japan Tourをこの年より再開した。 平行してLittle Kenny White Band (R&B)、Jewel & The Love (Godspel)などのグループで、サポート活動を続ける。 |
2002 |
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Tommy Chungのアルバムプロデュースを2枚担当。 Danny Summerのプロデュースを担当した。ゲストプレイヤーとして参加する。 中国本土にて2回ソロライヴを行う。 (シャンゼン・シティ) |
| 2004 | 香港野外フェスでプレイした。 同時期 ダニーサマーのコロシアムコンサートにもゲスト参加した。 |
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| 2005 〜現在 |
COJイベントに参加、また、中国広東市の音楽祭に参加した。外国人ギタリスト賞を受賞。 |
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